気仙沼を自転車で巡る! 現地の方から聞いた3.11当時と現在 東北紀行2日目
こんにちは!
wennyです
今日は東北紀行2日目ということで、昨日↓の予定を立てていました
ホテルで朝食
気仙沼観光案内所で自転車をレンタル
気仙沼で宿泊
さてこの計画通りに行ったのでしょうか…?
朝6:30~8:45にホテルで朝食を出してもらえるということで、ホテルの朝食をつけていました
前日7:00&7:30にアラームをかけて寝たので起きられる、はずだったのですが、
流石に前日高速バス車中泊・バス乗り遅れ・ヒッチハイク・宿もなかなか見つからないということで精神的にも疲れていたのでしょう
起きたのが8:30でした
まあ、寝坊はいつものことなのですが…
ということで急いで食堂に行き、朝食を食べます
その後少し部屋でぐうたらした後、9:30頃にチェックアウト、計画通り観光案内所に行き自転車(17時までに返却)を借ります
ママチャリでの小旅行は慣れっこです
つい最近も八王子ー茅ヶ崎の約40kmを走ったばかりでした
しかし、甘かった
気仙沼から東に進み、街の中にいるうちはまっっっ平、余裕の走り出しです
「30kmないし余裕で帰ってこれそう」
そんなことを考えながらしばらく走っていると……
こんな場所に来てしまいました
もう山ですね
さっきまであった海はいずくにかある
あとで知ったのですが、石割峠という峠だそうです
まあよくよく考えてみるとこの辺リアス海岸が多いので、海の近くに山があって当然なのですが、すっかり忘れて「海沿いだし平だろう」なんて思ってたわけですね
トレーニングして、クロスバイクなりロードバイクなりを駆使する、自転車部旅行班のような方々はきっとこんな峠「いいトレーニングになる」とか思いながらぐんぐん自転車で進んでいくんでしょう
しかしトレーニングもしておらず、ママチャリ(しかも使い慣れた愛機ではなくレンタルママチャリ)に乗っている私はあっという間にリタイヤ
峠をママチャリを押しながら進みます
この峠、登りがとにかく長くて(長く感じて)
まあ実際に歩いていたのは1時間もない(なんなら30分くらい?)なのですが
ようやく峠の頂上に着くとお地蔵様がいました
ここからは楽しい楽しい下り坂です
とはいえガードレールに突っ込んで落っこちて…なんてのは怖いのでブレーキ握りしめてですが
「♪この長い長い下り坂を 君を自転車の後ろに乗せて ブレーキいっぱい握りしめて ゆっくりゆっくり下ってく♪」
というゆずの「夏色」の一節が頭に浮かびますね
まあ一人ですが
下り切ると久々に海に出会いました
道も平坦です
石浜(唐桑)漁港などを横目に走ります
しかし平坦な道に出たとはいえ、すでに足の疲労は蓄積し、
「このまま陸前高田まで行って時間までに帰ってこられる気がしない」
「てかそもそも陸前高田まで行くのきついんじゃね」
とか思い始めます
そして現れる第二の坂
これは峠と言えるほどのものではなかったのですが、
私の心は完全に折れました
この坂を越えた先に国道45号との合流点があったのでそこまで頑張り、合流点をもって陸前高田行きをリタイヤしました
陸前高田はまたいずれ、「レンタカーで」行こうと思います
レンタサイクルじゃ無理や
国道45号線は自動車専用道がある可能性があったのでそのまま来た道を引き返すことに
途中雨がぱらついたり、日が出てめっちゃ暑くなったりしながら自転車に乗ったり自転車を押したりして戻ります
そういえば山道には「融雪剤用」の木箱が所々においてありました
さすが東北ですね
こんな発見をしながら戻って来た気仙沼
気づくともう14時です
残り時間3時間
とりあえず市内に戻ろうとすると…
魅力的な店発見‼︎
先月100周年を迎えたという老舗の「すがとよ酒店」です
こちらのすがとよ酒店にお邪魔し、お話を伺いました。
ここで聞いたお話は後述します。
この後ここでオススメされた気仙沼大島に向かいます。
あとで銭湯の主人(前日に行った銭湯)や泊まった宿の女将も気仙沼大島と気仙沼大島大橋をお勧めしていました。
4月に開通した新しい橋で、景色も綺麗なので大人気だそう
地元の人にとってもオススメスポットのようです
代わりに従来の連絡船は廃止になったため、市内から大島に行くのは遠くなってしまいましたが…
ただ、最近橋の開通&橋の近くにスーパーができたということで、船で運んでちょっと高くなった商品を買っていた島の人にとっては、自分で安くスーパーで買い物ができて喜んでいる、そんな効果をもたらした橋でもあります
車が渋滞することもあるような人気スポットということなので、ぜひ皆さんも一度足を運んでみてください
時間内に自転車を返し、宿を探します
前日宿で「空いてますか」「いっぱいなんですよ」というやり取りを繰り返したので、今日は早めに宿探しをします
駅の近くで
「どこからいらしたの?」
と声をかけてくださった女性が宿をお勧めしてくれ、しかも帰り道の途中だからと言って一緒に部屋があるか聞いてくれました
残念ながらその宿は空いていませんでしたが、一緒に探してくださって嬉しかったです
さらに前日訪れた銭湯の前を通った時、銭湯の主人に会い、またもオススメの宿を教えていただきました
その中で部屋が空いていた「かつらや旅館」さんに宿泊することに
駅から町の中心方面と逆方向に進んだところにあるので見つけづらいかもしれませんが、宿の方はとても優しく、いい宿です
夕食のお勧めを聞き、この日は内湾地区に行くことにしました
どこで食べるか悩みましたが、今晩はアンカーコーヒー内湾店さんで「金のメカカレー」(¥1,000+税 ご飯大盛り無料)をいただきました
今気仙沼で推しているというメカジキが入った美味しいカレーでした
私はマグロが好きなので、本当によかったですね
お米も地元の玄米を混ぜているとのことで
さて、そんなこんなで今日は目的の陸前高田は諦めましたが、気仙沼でいい経験をできました
その中で特に「すがとよ酒店」と「かつらや旅館」で聞いた、震災の話、そして震災後、現在の話を今日のブログの最後にまとめます
震災当時の話
すがとよ酒店さん割と海から近く、低地にあります。
そんな立地だったため震災時未曾有の大津波に襲われました
店は全壊、祖父母を亡くし、父も行方不明にになった、とのことでした
すがとよ酒店から少し西に行った内湾地区も海に近く低地、水が来ました
しかも南の商港岸壁のあたりにあった大型・タンカーが倒れたことで油が流出、その油が津波とともに内湾地区を襲い、内湾地区は火の海に
かつらや旅館まで水は来なかったものの、無数に火の手が上がる内湾地区を見て、ここまで燃え広がってくるのではないかと怖かったそうです
内湾地区では市役所のあたりまで水が覆いました
市役所は少し高くなっていたため飲まれませんでしたが、周りには瓦礫や流された車が溢れ、身動きが取れない状態に
同様の状況は気仙沼市民病院があった気仙沼の南側でも起こったそうです
しかも病院の周りは川を逆流して来た水に加え、地面からの水も襲います
病院はけが人の治療のために待ち構えていたそうですが、周りが流されて来たもので埋め尽くされ、誰も来れない状況
想定外だったそうです
こうした身動きの取れない状況が解消されるのは震災後1日2日して自衛隊が重機を持って支援に来て後の事だったそうです
内湾地区からさらに西に行った気仙沼駅付近、かつらや旅館は地震の揺れによる被害は受けたものの、水の被害は受けず、壊滅することはなかったそうです
前日にヒッチハイクで乗せていただいた方もおっしゃっていたのですが、東日本大震災は揺れ自体による被害はそこまで大きくはなかったけれど、津波の被害が圧倒的だったよう
車に乗せていただい方の家はそれ以前の宮城県沖地震(1978)などで被害を受け改修してきたが、流石に今回のは耐えられず「半壊」ということ、かつらや旅館も建てられて長いけれど潰れなかったということ。
これまでも比較的頻繁に地震を経験してきたからでしょうか、揺れの被害は大きくなかったということです
震災直後の話
震災直後すがとよ酒店ではしばらくどうしようもない日々が続くも、生きるために店の再開を決意、流されず残った酒を掘り出し、洗い、プレハブで営業を再開したそうです
その後町の状況に合わせて引越しを繰り返し、2016年12月、ついに震災前の鹿折で店を再開することができ、いまに至ります
内湾地区では津波で運ばれてきたヘドロが堆積
ボランティアが来てそのヘドロを掻き出すなどの作業も始まったそうです
しかしそのヘドロが塩でベタベタだし、水もまだ通っていないから流せないし、重いし…
しかも乾燥すると風で舞い上がります
このヘドロ、海底で蓄積した化学物質も含まれており、喉を痛めてしまう人が続出
それ以降マスクをつけるようになったとのこと
こうしてボランティアの方の協力などで震災の復興が進んでいきました
そして現在
まず現在のすがとよ酒店です
震災前、客はみんな顔見知りという地域密着型の経営をしていたすがとよ酒店も営業方法の転換を強いられました
というのも、すがとよ酒店のみならず周りにあった家々もみんな流されてしまいました
そしてそこに住んでいた人たちのうち戻って来ない人も多かったのです
避難先で家を買ったり仕事を見つけそこで生活するようになったり
集合住宅に住むようになったり
またこのあたりで自営業をしていた人たちも、世代交代が進んだことも相まって、震災で店を失ったことを機に営業をやめてしまう店も多く
このように従来の顧客が戻って来ない中、「地域密着型」を目指していたすがとよ酒店も仕方がなく方針を変えたそうです
それはボランティアに来てくれた遠方の片方の販売をはじめとして、対象を地域の人に絞らず、全国的に売り込んで行くことにしたのです
こうして震災は地域の社会構造までを変えてしまいました
すがとよ酒店のある地域は先述の通り震災前までいた人が戻って来なかったりして、今も空き地が多いように感じました
しかし一方で牛角や幸楽苑、あとは先述した大島の人に人気のスーパーなど、店が進出しつつあり、少しずつ栄えてきているようです
内湾地区はこれまで盛り土や防潮堤を作り終わるまで店が建てられないという状況でした
しかも町の人で話し合ったのに防潮堤が少しずれていたとかで工期が延長して…
工事が終わった場所がある一方、そうした工事は今も行われているようですが
しかし最近その工事もだんだん終わるようになり、商業施設が立つようになってきたそうです
市で建てた2つの商業施設
ここには地元の人や外から進出した店が出店し、若者などが利用する場になって来ているそうです
今回行ったアンカーコーヒーもそうした店の一つでした
内湾地区もようやく最近店が戻って来たところ、これからが本番のようです
まとめ
3.11の震災では、揺れの被害はそこまで大きくなかったものの、津波の被害を受けた場所は壊滅的被害を受けました
その後自衛隊やボランティアなどの協力のもと、瓦礫やヘドロなどの片付けは済み、今では瓦礫を見ることはありません
昨日見た石巻市内もそうですが、特に津波の被害が軽かった場所では震災の痕跡はあまり感じられない状況です
しかし海沿いで家が流された場所などは未だに空き地が広がります
人々が戻って来ないなどが理由ですが、このことはすがとよ酒店の例に見られるように地元の社会を変えてしまいました
また、護岸工事や盛り土などまだまだ工事はそこかしこで行われています
工事現場の近くでは、東京ではあまり見ない↓のような車が1分に1台のようなペースで通っていきます
そしてもちろん、亡くなった方、無くなってしまった物、そして心は決して元には戻らないでしょう
報道も少なくなり、ボランティアも他の最近災害に遭った被災地がメインになりました
瓦礫もないし、一見ほぼ復旧したように見えます
実際にインフラ面について、復興バブル後の不況が話題になるほど工事は進んでいるようです
とはいえ
工事はまだ続いているという事実
変わってしまった社会構造
広がる空き地
これを見ると復興は「終わった」と言えるようになるにはまだまだ時間が必要なように感じます
しかし被災地はまだ震災前には戻ってないし、もしかしたらもう震災前と全く同じ姿に戻るのは無理あるいは何十年もかかるのかもしれません
ただし悲観的な、マイナスな部分についてだけ書きたいとは思いません
戻りつつある店
震災後の状況に負けず営業を続ける人たち
ごくごく普通にカフェやレストランで話す人たち
気軽に声をかけてくれる優しい人たち
生活は震災後に適応し始め、もしかしたら震災前と同水準に戻りつつあるのかもしれません
私が見れることには限界があります
その中でも復興した東北の姿とまだ復興に向け努力する東北の姿を見ることができました
ぜひみなさんもこの記事をきっかけに8年経った東北の姿の一部だけでも知り、興味を持ってくださると幸いです
そしてできれば東北を訪れてみてください
自分の目でみたらまた違うかもしれません
そういう観点でなくても単純に大島大橋とか気仙沼の水族館とかいいところがいっぱいあります
ぜひ東北へ
それでは