【センター試験2020】センター試験ドイツ語解説‼︎

Grüß Gott!!

 

wennyです。

 

 

今回は2020年センター試験ドイツ語の解説をしたいと思います‼︎

 

そもそもセンター試験にドイツ語があるのか!と思われるかもしれませんが、実はセンター試験の「外国語」という科目は英語だけでなく、ドイツ語、フランス語、中国語、韓国語から選択できるようになっています。(ただし英語以外は筆記のみ)

 

今年でセンター試験は終わりですが、来年以降の大学入試共通テストでも外国語では英語以外の上記4言語も選択できるようです。

(参照:大学入試センター発表

令和 3 年度大学入学者選抜に係る大学入学共通テスト出題教科・科目の出題方法等

https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00035970.pdf&n=R3共通テスト出題教科・科目の出題方法等.pdf

 

 

残念ながら(?)センター試験の解説は主要科目のみになりがちで、ドイツ語の解説なんてほとんどありません。

そこで今回ドイツ語の解説記事を書いてみることにしました!

自分自身まだまだ学習中の身なので間違い等見つけた方はコメント等で教えていただけると幸いです。

(ちなみに解説を作る前に自分でも解いてみたのですが、186/200点でした)

全訳例は後日書けたらアップします。

 

では早速行きましょう!!

 

 

※問題はこちらからダウンロードして解きました↓

河合塾 2020年度大学入試センター試験解答速報

https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/center/20/

 

※解答はこちらから↓

大学入試センター 令和2年度本試験の正解

https://www.dnc.ac.jp/center/shiken_jouhou/jisshikekka/r2honsiken_seikai.html

 

 

【目次】 

 

 

 

1.  発音・アクセント・単語など

第1問は英語と同様発音・アクセント問題です。

英語と違うのは動詞活用時の語幹母音の変化や名詞化に関する問題が出る点です。

 

1.  発音問題(子音の発音)

②"Vase"(花瓶)のみ"V"の発音が「ヴイ」[v]

残りの"Vetter"(いとこ)/"Vogel"(鳥)/"Verwandte"(親戚)の"V"はいずれも「エフ」[f]の音

 

2.  発音問題(母音の長短)

③"Apfel"(りんご)のみ短い

残りの"Theater"(映画)/"Straße"(通り)/"Referat"(研究報告)はいずれも長い

"Referat"はこの単語を知らなくても、"Apparat"(器械、電話機)や"Rat"(助言)といった単語から推測可能と思われる

 

3.  アクセント問題

 ③Arbeit-Arbeiterのみともに下線部にアクセントが置かれる(意味は仕事-労働者)

他の単語のアクセント位置は以下の通り

Europa-Europäer  Jura-Jurist  Malerei-Maler

(意味は前からヨーロッパ、ヨーロッパ人、法学、法律家、絵画、画家)

 

4.  3人称単数現在形の変化で語幹母音が変化するかどうかを問う問題

②"treffen"(会う)のみ"trifft"と語幹母音が変わる

残りは母音変化なし(schenkt, fehlt, legt)

なお"treffen"は過去形・過去分詞形でも母音が変化する

(treffen-traf-getroffen

 

5.  過去分詞で母音が変化するものを選ぶ問題

①"sinken"(沈む)のみ sinken-sank-gesunken と変化する

残りは以下のように変化する。

messen(測る)  messen-maß-gemessen

tragen(持っていく)  tragen-trug-getragen

rufen(呼ぶ)  rufen-rief-gerufen

いずれも不規則変化だが、過去分詞の母音は変化しない

 

6.  ドイツ語ならではの造語問題

今年は -schaft をつけて名詞を作ることができるかという問題だった

他にも -heit で名詞を作れるかというパターンも存在する

①"Menschen"のみ -schaft で名詞を作ることができない. (×Menschschaft)

なお"Mannschaft"(チーム)や"Menschheit"(人類)は存在する

残りは

"Wirt"(飲食店の主人)→"Wirtschaft"(経済)

"Land"(国、土地)→"Landschaft"(風景・景観)

"Herr"(〜さん、紳士)→"Herrschaft"(支配)

 

7.  文中でアクセントが置かれる語を選ぶ問題

英語でもかつて存在した形式

基本的には未知の情報・新情報・最も伝えたい情報にアクセントが置かれる

疑問文では答えの中心にアクセントが来る

今回は疑問文ではないので新情報や重要な情報を選べばよい

"Das ist das größte Tier in diesem Zoo."

上ではist、das、Tierは既知の情報であるため、新情報の③"größte"を選べばよい

 

 

 

2.  文法・語法

第2問は英語と同様穴埋め形式の文法・語法問題です。

 

1.  ①Welcher が正解

"Plan"は男性名詞"der Plan"

格は"gefallen"(〜の気にいる)は物を主語に取り、人を3格目的語にとるので1格

 

2.  ④dich が正解

Für die Verspätung des Zuges brauchst du dich nicht zu entschuldigen.

(電車の遅延のために君が詫びる必要はない)

「brauchen + nicht zu不定詞句」で「〜する必要はない」

zu不定詞句の動詞部分の"entschuldigen"は再帰動詞として"sich(4) entschuldigen"で「詫びる」という意味なので、4格"dich"をとる

 

3.  ③Wie viel (Prozent) が正解

Prozent(パーセント)なので"wie viel"(どのくらいの量)が適切

他は"alt"(古い)、"groß"(大きい)、"hoch"(高い)

 

4.  ③aus が正解

"bestehen aus(3)"で「〜からできている」

(※"bestehen"自体は「ある、存在している」)

したがって"Das Orchester besteht aus 98 Mitgliedern."(そのオーケストラは98人のメンバーで構成されている)となる

 

5.  ③seid が正解

状態受動の文

文末が過去分詞形"eingeladen"になっているので、完了形や受動態が考えられる

"Ihr seid jederzeit herzlich eingeladen" (君たちはいつも心から歓迎されている(招待されている))が適当

 

6.  ①ist が正解

完了形の助動詞としてseinを選べるかという問題

「その都市は1970年代にとても急速に発展した(成長した)」のかたちになり、完了形で過去を表すことがわかる

完了形の助動詞でseinを取るのは、「自動詞」かつ「移動」「状態の変化」「慣用的(begegnen, bleiben, sein)」に限られる

"gewachsen"(成長する)は「状態の変化」を表す「自動詞」なので"haben"ではなく"sein"を取るので"ist"が正解

 

7.  ④von が正解

von...anvon...abvon...her で「〜から」ということができる

"von Anfang an"で「はじめから」ということができる

 

8.  ④würde が正解

"An deiner Stelle"は「あなたの立場なら」という非現実話法とセットの表現

したがって接続法Ⅱ式の出番だが、文末に不定形の"fahren"があるので、接続法Ⅱ式の代替表現"würde+不定形"とすればよい

(現在は接続法Ⅱ式ではなく"würde+不定形"を使うことが多い)

 

 

 

3.  並び替え

第3問は英語にも存在する並び替え問題です。

zu不定詞句や関係詞句、否定表現などが混ざった際の語順に気をつけましょう。

 

1.  Mit dir in die Berge zu fahren, macht viel Spaß.

zu不定詞句を主語にした文

カンマでzu不定詞句を区切った後に動詞machtがくる

 

2.  Kopieren Sie bitte diese Papierebevor um 11 Uhr die Sitzung beginnt!

命令文はdu、ihr、Sieの3パターンあるが、"Kopieren"のように、-enの語尾が残った、不定形のような形になるのは、接続法Ⅰ式要求話法を用いたSieへの要求表現のみ

Sieへの要求表現は"動詞+Sie(+bitte)"の形なので、"Kopieren Sie bitte"とし、その後に目的語"diese Papiere"を置く

後半は「〜前に」の部分で、bevorから始まる副文なので最後に動詞beginntがくる

時刻表現はちょうどぴったりなら"um 〜Uhr"、だいたいの時間なら"gegen 〜Uhr"

 

3.  Aus Sicherheitgründen sind Hunde in diesem Park stets an der Leine zu führen.

(安全上の理由から犬はこの公園において常にロープで繋いで引かれて行かなければならない)

"Sicherheitgründen"は"Sicherheit"(安全)と"Grund(Gründe)"(理由)の複合語

構文としては「sein+zu不定詞句」を用いている

これは「〜されうる」(受け身の可能)または「〜されなければならない」(受け身の必然)の意味

"stets"は「(文)いつも、常に」、"Leine"は「綱、ロープ」

 

4.  Es hat keine fünf Minuten gedauert, bis alle Karten für das Endspiel ausverkauft waren.

前半は"Es dauert 〜"で「(時間)がかかる」の非人称主語esの文

今回は「かからない」と否定表現で、"keine"が使われている

これは目的語"fünf Minuten"が無冠詞の複数名詞であるため、nichtではなくkeinを使っているのである

後半は「かからない」のがいつまでかを表す、bisから始まる副文で、動詞warenが最後に来ている

 

5.  Wer an dieser Uni Geschichte studiert, muss im ersten Jahr mindestens zwei Fremdsprachen lernen.

関係詞wer「〜な人」を含む文

werの関係文は副文となるので、先行する"studieren"が最後に来る

werの副文は文の要素1つと考えるので、werの副文がカンマで終わった後は第二位の位置になるので、定動詞第2位の法則から"muss"がきて、最後に"lernen"がくる

時間や場所の表現よりも目的語の方が最後の方に来やすいので"mindestens zwei Fremdsprachen"(少なくとも二つの外国語)が後ろに来ている


4.  対話文・広告

第4問は対話の流れから最も適切な語句・文を入れる問題と、広告を見て適切なものを選ぶ問題でした。

 

1.  ③Tut mir leid, der ist besetzt.(残念ながら、これはふさがっています(この席は空いていません))

Aが「この席は空いていますか」と尋ねたことに対する答えを選ぶ

Jaなら「席が空いている」という内容、Tut mir leidなら「席が埋まっている」という内容となればよい

 

2.  ③dreihundertzehntausend (310.000)

Schülerが"hundertdreißigtausend (Einwohner)"と言ったのに対して、"viel mehr"と言っているので、もっと大きい数を選べばよい

"hundertdreißigtausend"は130.000

選択肢を数字に直すとそれぞれ

①13.000/②31.000/③310.000/④1.300

よって130.000よりも大きいのは③の310.000のみ

 

3.  ①Handkoffer(手持ちトランク)ーSchlafsack(寝袋)ーSnowboard(スノーボード)ーKinderwagen(ベビーカー)

A~Dの各広告が何を指しているかを選ぶ

Aは"ins Gepäckfach eines Flugzeugs"(飛行機の荷物棚)という表現があるので、ベビーカーよりトランクがふさわしい

Bは"bei eiskalten Temperaturen sogar Ihr Leben retten"(凍るような寒い気温の際もあなたの命を守ります)とあり、"Wasserdicht"(防水)や"kompakt"(コンパクト)といった言葉からもスノーボードより寝袋がふさわしいと考えられる

Cは"Fahren durch den Schnee"(雪の中を行く)とあるのでスノーボードの方が適切

Dは"auch in engen Supermärkten"(狭いスーパーマーケットでも)とあり、スーパーマーケットではトランクよりもベビーカーの方が使うとも考えられるのでベビーカーがふさわしい

 

4.  順番に①ー③ー②ー④

選択肢それぞれの意味は以下の通り

①もう計画はある?

②じゃあ映画館についてどう思う?

③テニスをするか泳ぐかしようよ!

④そうしたら土曜日の朝10時頃に迎えに行くね。

最初は週末の予定を聞いている。(①)

Berndは"Sport"(=テニス・水泳)を提案する(③)が、Anjaはスポーツはきつすぎると拒否する。

その後29で質問をするが、Anjaは"Ich weiß nicht"(知らない、わからない)と言う

Anjaはリラックス"Entspannung"を希望し、Berndは岸辺に行くことを提案

Anjaは"Das klingt gut"とそれに賛成し、具体的な日時を伝えている。(④)

したがって29は②が適当

 

 

 

5.  対話文読解

第5問は二人の対話を読んで問いに答える問題です。

タイトルは「チョコレートケーキ」、MarieとVaterが5分でできるチョコレートケーキを作る話です。

 

1.  ④Kein Problem. (問題ない)

前後の文脈は、

前(Vater):家には果物もアイスもないし、スーパーマーケットも閉まってしまった。(からデザートはない)

<30(Marie)>

後(Marie):5分でできるデザートを知っている。

選択肢は、

Keine Ursache. どういたしまして。

②Keine Lust. やる気はない。

Keine Ahnung. 全く知らない。

④Kein Problem. 問題ない。

(※青字は慣用表現)

よって④が適切

 

2.  Woher kennt Marie das Rezept des Nachtisches?

(Marieはどこからデザートのレシピを知ったのか?)

答えは

③Die Mutter hat den Kuchen schon oft mit Marie gebacken.

(母はそのケーキを既によくマリーと一緒に焼いていた。)

会話文7行目のMarieのセリフ

「Mama backt ihn immer mit mir, wenn sie nicht viel Zeit hat. Und das Rezept dazu habe ich im Kopf.」

(ママはあまり時間がないときいつも私とそれ(ケーキ)を焼く。そしてそのレシピを私は憶えている。)

とあるので③が適切

他の選択肢は以下の通り

①Marieはそのレシピをスーパーマーケットで見た。(本文中なし)

②父がMarieにレシピを示した。(本文中なし)

④Marieと彼女の父は時々一緒に料理する。(一緒に料理するのは父ではなく母)

 

3.  ①彼はチョコレートケーキが3分で完成することを疑っている。

傍線部の文は↓

So, jetzt sind schon zwei Minuten vorbei. Bist du sicher, dass es nur noch drei Minuten dauert?

(それで、今既に2分経った。あと3分しかかからないということをわかってる?)

これは残り3分で完成させることができるか疑っていると考えられる。

①の"an etwas zeitfeln"は「〜を疑う」という動詞でこれに合致する

残りの選択肢は以下の通り

②彼は本当に全ての材料が皿にあるか自信がない。

③彼はイライラしている。なぜなら彼は3分でスーパーマーケットに行かなければならないからだ。

④彼はチョコレートケーキを焼くのに長い時間がかかることを怒っている。

 

4.  ①Marieと彼女の父はケーキを家にある材料で焼いた。

本文内容一致問題。

本文12行目「Die Zutaten haben wir bestimmt da, ......(材料はきっとある)」とあり、足りなかったというような表現はないので、家にある材料だけを使ってケーキを焼いたことがわかる。

他の選択肢は以下の通り

②Marieと彼女の父はレシピを知らないでケーキを焼いた。(レシピはMarieが憶えていた)

③Marieと彼女の父はケーキを焼くのにたくさんの時間が必要だ。(5分で焼ける)

④Marieと彼女の父はケーキを果物とアイスで飾り付けた。(果物とアイスは家になかった)

 

 


6.  対話文読解(図表つき)

第6問は英語でもある図表付きの読解問題です。

今回は映画のタイトル、ジャンル、時間、役者が書かれた図表がついていた。

 

1.  ③das stimmt その通り

前後の文脈は以下の通り

前(Sebastian):君はきっと「雪のプリンセス」を一番見たいんじゃないの?

(Regina):はい、<34>

後(Regina):でもそれは後でも見られるわ。

選択肢は

①einverstanden 同意します

②prima まずは

③das stimmt その通り

④das geht うまくいく

直前で見たいのではないかと聞かれ、Jaと答えているので、das stimmt(それは合っている)が適切

 

2.  ②erst um zehn  10時にようやく

映画"Die Cyber-Diebe"が良いと言うReginaに対し、"Ja, aber der fängt <35>an."(はい、でもそれは<35>に始まる)と答えている

"Die Cyber-Diebe"が始まる時間は図から19:30(7:30)と22:00(10:00)

ここでこの会話が行われている時間をみると、会話文3行目のReginaのセリフで「Aber es ist ja schon Viertel vor acht.」とあり、7:45(19:45)だとわかる

選択肢は↓

①もう10時には

②10時にようやく

③もう7時半には

④7時半にようやく

anfangenが現在形になっているので、過去を表すことになる③、④は適当でない

未来を表す①、②のうち、"schon"「もう」より"erst"「ようやく」の方が適当なので②

 

3.  ①Verloren im Pazifik

それぞれの映画を互いに見たいと言うが、どれも否定される

最後に19ページ8行目でSebastianが"Verloren im Pazifik"を提案し、Reginaははじめ「冒険映画は本来そんなに好きではない」と言うが、最終的には"Na gut, dann bleibt uns wohl nichts anderes übrig."(まあいいや、そうしたら私たちには多分他に何も残っていないし)とあるのでそのまま"Verloren im Pazifik"を見に行ったと考えられる

また、Nach dem Film(映画の後)の会話からも"Verloren im Pazifik"だとわかる

 

4.  ④dann können wir heute wohl nur diesen Film sehen

(そうしたら私たちは今日多分この映画しか見られない)

3でも言及した"Na gut, dann bleibt uns wohl nichts anderes übrig."の言い換え問題

他の選択肢は以下の通り

①そうしたら私たちは今すぐにチケットを買わなければならない

②そうしたら私たちはその映画を多分他の日に見なければならない

③そうしたら私たちは他の映画を後で見ることができる

「これしか残っていない」というところから④が適切

 

5.  ①Regina-Zuichentrickfilme

         Sebastian-Sciencefiction

Reginaは1でも言及したように"Die Schneeprinzessin"が好きであり、これは"Zeichentrickfilm"(アニメーション映画)である

Sebastianは19ページ1行目のReginaのセリフに"ich bin ja kein Fan von solchen Filmen wie du"(私はあなたのようにそういう映画のファンではない)とあり、Sebastianは「そういう映画」=直前で触れられている"Kampf der Planeten"のようなSciencefictionが好きだとわかる

したがって①

 

6.  ②Reginaはその映画を素晴らしいと思ったが、彼女ははじめそれを見たいとは思わなかった

3で言及したようにはじめは「冒険映画はそんなに好きではない」と言っていたが、映画の後に"Der Film war wirklich toll!"(その映画は本当に素晴らしかった)と言っている

したがって②が適切

他の選択肢は以下の通り

Reginaは自然風景映像は良いと思った。しかし話はつまらないと思った。

③Sebastianは本に失望していたにかかわらず映画を素晴らしいと思った。

④SebastianはBetty Schäferが共演していなかったので失望した。

③、④について、Sebastianは映画を観た後に本と違って現実的でなかったということで映画には失望したと言っているので、③、④ともに正しくない

 

 

 

7.  論説文読解

第7問は論説文の読解問題でした。

ドイツの多様な労働について5人の具体例をあげながら説明した文でした。

 

1.  ③ー⑤ー④ー②

5つの例を簡単に紹介すると

A: Anna 決まった時間に仕事をした後、サッカーチームで練習をしている

B: Mostafa 仲間と働くことは重要だと言っている

C: Stefan 残業をしている

D: Silke 二人の子供を養育するためにフルタイムとパートタイムで働いてなんとか生計を保っている

E: Johannes 自宅で好きな時間に働いている

<40> ③ C

ドイツでは2015年にほとんど20億時間の残業が行われたと、ある研究は示している。多くの会社は新しい協力者を雇い入れるよりもその労働者や社員に残業をさせる。

<41> ⑤ E

家で働くことはインターネットのおかげで今日もはや珍しいことではない。働く場所は自由に選ぶことができる。多くの被用者はこの柔軟性をとても高く評価している。専門家はオフィスよりも家やカフェでの方がクリエイティブだと思っている。

<42> ④ D

ある科学研究は2016年にドイツでは全被用者のうち約10%が8.50ユーロの法的な最低賃金を稼いでいなかったと示した。しかし法的な最低賃金さえいくつかの家族にとっては生計を維持するのに足りていない。

<43> ② B

職場においてチームの能力が最も重要なこととみなされていることがあるアンケートで明らかになった。それゆえ企業は同僚たちの間の協働を促進するために良い仕事の雰囲気を作ることが必要とされている。

 

2. ④Detlefは練習があまりに少なかったので、ナショナルチームでプレイできない。

下線部の諺"Ohne Fleiß kein Preis"は直訳では「勤勉無くして賞はなし」

つまり、努力をしなければ名誉、褒賞、成功などは得られないということである

他の選択肢は以下の通り

①Markは毎日懸命に学んだが、奨学金をもらえなかった。

②Katharinaは運が良く、ついに割安な住居を見つけた。

Sophiaはあまり練習しなかったが、彼女は音楽コンクールで優勝した

①、②、③は努力せずに成功する、あるいは努力したのにいい結果を得られないという文なので適当でない

 

3.  ④ー①

<45> ④ Silke

今日はようやくまた日曜日が休みだった。本来私たちは動物園にライオンを見に行きたかった。しかし3人分だとさらに20ユーロ以上かかる。そのお金は学費のために貯金しておく方がいい。

→休みがあまりないこと、お金を節約していることなどから、パートタイムもしつつなんとか生計を維持しているSilkeが適当

<46> ① Anna

レーニングの後に今日はチームの話し合いをした。私たちはついに日曜日の試合に勝てるようないい戦略を見つけた。私は絶対にゴールしたい!

→仕事後にサッカーチームでトレーニングしているAnnaが適当

 

4.  ④、⑥

本文内容一致問題

④はAでAnnaが"die geregelte Arbeiteszeit ein großer Vorteil ist, weil man dadurch auch seine Freizeit besser planen kann."(整理された労働時間は大きな利益になる。なぜならそれによって自由時間もよりよく計画できるからだ。)と言っているので正しい

⑥はBでMostafaが"Gute Zusammenarbeit ist sehr wichtig, denn große Probleme kann man oft nur gemeinsam lösen."(いい仕事の連携は重要だ。というのも大きな問題はしばしば一緒にやる限りにおいて解決できる)と言っているので正しい

 

5.  ② Arbeitswelt in Deutschlamd

選択肢は以下の通り

①日常の金銭問題

②ドイツの労働の世界

③将来の仕事

④ドイツの外国人労働者

ドイツの様々な仕事の様子を紹介しているので②が適当

 

 

 

終わりに

さてここまで2020年度センタードイツ語の問題を解説してきました。

大学の第二外国語で(真面目に・しっかり)ドイツ語をやっていればある程度解ける難易度だと思います。

ドイツ語は複合語が多いこともあり、単語を推測するというのも英語と比べると比較的容易なんじゃないかと思うので、ドイツ語を勉強したことがある人はぜひ挑戦してみてください!!

 

それではTschüss!!

 

 

 

単語・表現リスト

bestehen aus(3): 〜からできている

von Anfang an:はじめから

Gepäckfach:荷物棚(das Fach:専門分野、科目、仕切られた空間)

wasserdicht:防水(dicht:密な、濃い、通さない)

retten:救う、守る

anstrengend:骨の折れる、きつい

im Moment:目下のところ、今のところ

(4) von (3) halten:(3)を(4)の程度に評価する

Entspannung:リラックス、息抜き、くつろぎ(entspannen:リラックスさせる)

sich ausruhen:休む

der Strand:岸辺

Keine Ursache!:どういたしまして

Keine Ahnung:全く知りません

zweifeln an(3):〜を疑う

Zutat (Zutaten):材料、付属品

Backpulver:ベーキングパウダー(das Pulver:粉)

Mehl:穀粉、小麦粉

riechen:匂いがする

ungeduldig:気の短い、イライラした

Bummel:ぶらつくこと

vorbeikommen:通り過ぎる、する抜ける

einverstanden mit(3):〜に同意する

Aufregend:興奮

spannend:ハラハラさせる、ワクワクさせる

überreden:説得する

ehrlich:正直な

enttäuscht:失望した

Aufnahme:録音、撮影、開始、収容、取り入れること

überhaupt:全く(〜ない)、いったい(〜なのか)、総じて

 

 

 

向洋高校遺構と南三陸へ 3.11から8年後を訪ねる東北紀行3日目!

こんにちは!

 

wennyです

 

 

さてまず今日の旅程はこんな感じでした

 

かつらや旅館さんで朝食

歩いて陸前階上(はしかみ)へ 

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館(旧気仙沼向洋高校)訪問

気仙沼線BRTで陸前階上から志津川

志津川・南三陸散策

志津川から在来線を乗り継ぎ仙台へ

 

 

 

とにかく今日は疲れた

 

というのも前日に無茶な山道サイクリングをしたわけですが

昨日の今日で今度はウォーキングを敢行したわけです、少しでも交通費を浮かせるために

 

しかも大きな荷物を背負って(40Lのバックパック

 

連日こんなだと流石に疲れるもので、足の裏や足首、股関節に負荷がかかっているのを感じます

 

ぜんぶ初日にバスに乗り遅れたせいだ

 

つまり自業自得なんですけどね笑

 

 

しかもなんだかんだ宿泊費やお土産台がかさんで結構金を使っている気がします

 

一番微妙な気持ちになるのは歩いていて喉が乾いたときに買ってしまった3本のペットボトルです

結局使った金変わらんのでは、という気持ちになります

 

 

まあ歩いたからこそ見れた景色もあったと考えて、悲観的になるのはこのくらいにしましょう

 

 

 

お世話になったかつらや旅館さんを出て南進します

 

f:id:gunmay20000329:20190602213409j:plain

 

目標は気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館(旧気仙沼向洋高校)、旅館の女将さんからも勧められたところです

 

 

途中坂を登ったり下ったりしつつ

 

川を渡って行きます

 

f:id:gunmay20000329:20190602213534j:plain

f:id:gunmay20000329:20190602213553j:plain

 

かつらや旅館で聞いた「水が川を登ってきて病院のあたりまで水浸しになった」という話を思い出しながら

 

 

途中、もともと市立病院があった近くのイオンに立ち寄ったのですが、

f:id:gunmay20000329:20190602213844j:plain

そのイオン、こんな場所にあるんですね

川からは近いですが、海からはだいたい2kmくらいは離れているように見えます

 

 

そんなイオンでも…

 

f:id:gunmay20000329:20190602214057j:plain

左上の標識、分かるでしょうか?

その高さまで水に浸かったということです

 

比較的内地にあっても、川を遡上してくる水による被害があるということを実感しました

 

 

歩いているときに見えるのは平々凡々としたのどかな風景

 

f:id:gunmay20000329:20190602214525j:plain

f:id:gunmay20000329:20190602214328j:plain

f:id:gunmay20000329:20190602214334j:plain

f:id:gunmay20000329:20190602214410j:plain

 

 

個人的にはBRTという存在が興味深くて

 

f:id:gunmay20000329:20190602214736j:plain

BRTの駅と線路(バス停と専用道路)

 

f:id:gunmay20000329:20190602214634j:plain

BRTの踏切(バス専用道と一般道の交差点)

こんな写真を撮りながら歩いていました

 

 

 

とはいえ気仙沼ー伝承館は約10kmあります

 

何度か荷物を下ろして休憩を挟みつつ

 

 

ようやく12時前には伝承館に着きました!

 

この伝承館は旧向洋高校の遺構を保存し、それに隣接する形で伝承館を建てた施設です

 

f:id:gunmay20000329:20190602215111j:plain

旧向洋高校遺構

 

伝承館では震災当時の津波や火災の映像を流すシアター、震災後の街の写真を展示するギャラリー、震災後に街の人を取材したテレビ映像の放映などが見られます

 

こちらは撮影禁止となっているので写真はありません

ぜひ一度訪れて、実際に映像や写真を見て見てください

 

 

ここで津波でいとも簡単に家が流される映像、水が川を遡上し街を襲う映像、タンクが倒れ重油まみれの黒い水が街を襲いそして火事が起きる映像

 

こうした映像は震災当時も少なからず見ていたはずなのに、今回見て再びショックを受けました

 

以下その時感じたことです

 

 

2011.3.11、私は小学5年生で友達と下校途中でした

 

急に来た体験したことのない揺れ

私の地元では震度5弱とのことでした

 

揺れが収まるまで、学校で教わったようにランドセルを頭の上に乗せ、建物から離れて道の真ん中あたりでしゃがみこみました

 

揺れが収まり急いで家に帰るとテレビには街に襲いかかる津波の様子が映されていました

当時の私も子供ながらに思うところはあったでしょう

 

その後しばらくはテレビも震災関連のニュースだけになり、

CMは自粛ムードでACばかりになり、

計画停電が行われて

 

 

それからもう8年が過ぎ、私の中では震災はすでに過去のものとなりつつありました

 

 

東北の震災の話題を目にすることも少なくなり、「風化」が自分の中で進みつつあったように思います

 

 

そもそも当時から「対岸の火事」のような気持ちがあったのかもしれません

 

小学生の自分にどこまでを求めるかは難しいところですが、ACのCMをネタにしたり、計画停電で真っ暗になった街を楽しんだり、東北の現状をテレビでは知りつつも、自分とは関係のないものと思っていたのだと思います

 

 

しかし今回時間ができて、東北を訪れてみて、久々に震災の映像を見て、インタビュー映像を見て、また自分の目で震災後の街を見て、地元の人から話を聞いて…

 

震災の悲惨さを再確認するとともに、街が徐々に復興していても心はなかなか癒えないということを思いした気がします

 

もちろん実際に会った方々は、嫌がるそぶりもせず震災時の話をしてくださった

旅館でも酒店でも街でも、東北の人々は強く生きている

 

震災の傷に負けないよう強く生きようとしているのだろうなあと感じました

 

 

ちなみに一つ興味深かったのは、震災時の映像で津波に襲われる街を撮影している時に入っていた音声です

 

もちろん悲鳴や嗚咽が入っているようなものもありました

「ここも危ないんじゃないか」というような言葉も入っていました

 

ただ、一部で「すごい」とか「流されてる」といったような冷静な言葉が聞かれたのは少し驚きでした

 

偏見ですが、勝手にあれだけの震災なら、誰もがパニックだったんだろうと思っていたので

 

 

さて伝承館から順路通りに進むと旧向洋高校の遺構に入れます

 

向洋高校は水産高校でした

日頃の訓練の甲斐あって生徒、教員、そして当時学校を改修工事していた作業員まで、みんな高台に避難するなり、屋上に避難するなりして助かったということです

 

しかし、向洋高校の校舎自体は甚大な被害を受けました

4階建ての校舎の3階までは完全に水に浸り、4階も20cmほどは水が入って来たそうです

 

そんな校舎を可能な限り当時のまま保存してある遺構を見ることができます

 

f:id:gunmay20000329:20190602222053j:plain

f:id:gunmay20000329:20190602222133j:plain

体育館跡 屋根が完全に持って行かれてしまっている

f:id:gunmay20000329:20190602222219j:plain

流されて来た車や瓦礫が積み重なっている

 

まあ写真じゃ絶対に実際の感じは伝わらないので、ぜひ実際に足を運んでみてください

 

 

この遺構・伝承館の周りも例に漏れず絶賛工事中なのですが、

 

f:id:gunmay20000329:20190602222724j:plain

何もない大地と砂山と

この辺りは港の工事の他に、各地から土砂を持って来て貯めたりもしているそうです

この土砂は道路などの嵩上げ工事などでも使われるため、こうした場所に貯蔵し必要に応じて持っていくとのこと

 

それと高校の校庭跡地はゴルフパークの計画があるとか

 

まだ終わらない復興工事と、まっさらな土地に新たなものを立てる再スタートの両方を象徴しているかのようですね

 

 

ここまで震災の話が多かったのですが、伝承館から少し内陸に戻ると、そこには農村風景が広がっています

 

港町と農村の共存、のような感じですごく趣深かったですね

 

f:id:gunmay20000329:20190602223225j:plain

たんぼ

f:id:gunmay20000329:20190602223311j:plain

f:id:gunmay20000329:20190602223335j:plain

 

 

 

 

こうして伝承館を後にした私は気仙沼線陸前階上駅へ

 

この駅、廃線マニアとかが好きそうな感じで、なんと!

 

 

f:id:gunmay20000329:20190602223509j:plain

f:id:gunmay20000329:20190602223518j:plain

 

使われていない電車のホームが残っているのです!!!

(実際は気仙沼線廃線ではないのですが)

 

先日も書いた通り気仙沼線は電車としての復旧を断念、BRTとしての運行を行なっているので電車時代のホームは使われず、線路があった場所にバス用の道路が敷かれているのでした

 

 

こうして気仙沼線に乗った私は南三陸志津川

 

f:id:gunmay20000329:20190602223929j:plain

志津川駅周辺

 

この町、全然建物がありません

 

気仙沼の内湾地区も結構更地が多かった印象でしたが、ここはその上をいっています

 

 

f:id:gunmay20000329:20190602224042j:plain

更地①

f:id:gunmay20000329:20190602224118j:plain

更地②

f:id:gunmay20000329:20190602224144j:plain

更地③

f:id:gunmay20000329:20190602224213j:plain

更地④

f:id:gunmay20000329:20190602224253j:plain

更地⑤

これ以上あげても仕方がないのであげませんが、本当に建物が少ないんです

 

これも家が流され、人がなかなか戻ってこないためでしょう

 

 

 

しかし一方、ここには強力な施設があるのです!!

 

f:id:gunmay20000329:20190602224452j:plain

f:id:gunmay20000329:20190602224455j:plain

 

飲食店、土産物店などが軒を連ねる「南三陸さんさん商店街」です!!!

 

ここにはキラキラ丼(季節ごとに具材が変わる海鮮丼、夏はウニ)や、オクトパス(置くとpassとして受験の験担ぎとして有名)があります!

 

他にも地元の海産物や米も売ってるし、お菓子も売ってるし、休憩スペースもあるし、とってもいい観光スポットです

 

 

そしてそしてなんと!

 

f:id:gunmay20000329:20190602224850j:plain

 

チリから贈られたガチのモアイもいるのです!!!

 

 

 

そんなさんさん商店街を見た後、私は海辺に行きました

 

f:id:gunmay20000329:20190602225042j:plain

f:id:gunmay20000329:20190602225045j:plain

 

f:id:gunmay20000329:20190602225052j:plain

モアイもいるよ

 

海の景色は流石はリアス海岸、背後に控える山と非常に美しい景観を作っています

 

砂浜もあり、のんびりとした時間を過ごしました

 

 

 

この後在来線で仙台に帰って来ました

 

今日までで震災関連を巡る旅はひと段落

明日は最終日、仙台市内をゆっくりめぐりたいと思います

 

それでは

気仙沼を自転車で巡る! 現地の方から聞いた3.11当時と現在 東北紀行2日目

こんにちは!

 

wennyです

 

 

今日は東北紀行2日目ということで、昨日↓の予定を立てていました

 

ホテルで朝食

気仙沼観光案内所で自転車をレンタル

自転車で気仙沼陸前高田往復

気仙沼で宿泊

翌日朝気仙沼発、南三陸

 

 

さてこの計画通りに行ったのでしょうか…?

 

 

朝6:30~8:45にホテルで朝食を出してもらえるということで、ホテルの朝食をつけていました

 

前日7:00&7:30にアラームをかけて寝たので起きられる、はずだったのですが、

流石に前日高速バス車中泊・バス乗り遅れ・ヒッチハイク・宿もなかなか見つからないということで精神的にも疲れていたのでしょう

 

起きたのが8:30でした

 

まあ、寝坊はいつものことなのですが…

 

 

ということで急いで食堂に行き、朝食を食べます

 

 

その後少し部屋でぐうたらした後、9:30頃にチェックアウト、計画通り観光案内所に行き自転車(17時までに返却)を借ります

 

 

 

気仙沼陸前高田間は30km弱

 

f:id:gunmay20000329:20190602002952p:plain

ママチャリでの小旅行は慣れっこです

つい最近も八王子ー茅ヶ崎の約40kmを走ったばかりでした

 

 

 

 

しかし、甘かった

 

 

 

 

気仙沼から東に進み、街の中にいるうちはまっっっ平、余裕の走り出しです

 

f:id:gunmay20000329:20190602003103j:plain

 

「30kmないし余裕で帰ってこれそう」

 

そんなことを考えながらしばらく走っていると……

 

 

 

 

こんな場所に来てしまいました

 

 

f:id:gunmay20000329:20190602003152j:plain

f:id:gunmay20000329:20190602003155j:plain

f:id:gunmay20000329:20190602003200j:plain




 

もう山ですね

さっきまであった海はいずくにかある

 

あとで知ったのですが、石割峠という峠だそうです

 

まあよくよく考えてみるとこの辺リアス海岸が多いので、海の近くに山があって当然なのですが、すっかり忘れて「海沿いだし平だろう」なんて思ってたわけですね

 

 

 

レーニングして、クロスバイクなりロードバイクなりを駆使する、自転車部旅行班のような方々はきっとこんな峠「いいトレーニングになる」とか思いながらぐんぐん自転車で進んでいくんでしょう

 

しかしトレーニングもしておらず、ママチャリ(しかも使い慣れた愛機ではなくレンタルママチャリ)に乗っている私はあっという間にリタイヤ

 

峠をママチャリを押しながら進みます

 

 

この峠、登りがとにかく長くて(長く感じて)

まあ実際に歩いていたのは1時間もない(なんなら30分くらい?)なのですが

 

 

ようやく峠の頂上に着くとお地蔵様がいました

 

f:id:gunmay20000329:20190602003256j:plain

無事に気仙沼に帰れることを祈る



 

ここからは楽しい楽しい下り坂です

 

とはいえガードレールに突っ込んで落っこちて…なんてのは怖いのでブレーキ握りしめてですが

 

「♪この長い長い下り坂を 君を自転車の後ろに乗せて ブレーキいっぱい握りしめて ゆっくりゆっくり下ってく♪」

というゆずの「夏色」の一節が頭に浮かびますね

 

まあ一人ですが

 

 

下り切ると久々に海に出会いました

道も平坦です

 

f:id:gunmay20000329:20190602003350j:plain

 

 

石浜(唐桑)漁港などを横目に走ります

 

f:id:gunmay20000329:20190602003435j:plain

f:id:gunmay20000329:20190602003439j:plain


しかし平坦な道に出たとはいえ、すでに足の疲労は蓄積し、

 

「このまま陸前高田まで行って時間までに帰ってこられる気がしない」

「てかそもそも陸前高田まで行くのきついんじゃね」

 

とか思い始めます

 

 

そして現れる第二の坂

 

これは峠と言えるほどのものではなかったのですが、

 

私の心は完全に折れました

 

 

この坂を越えた先に国道45号との合流点があったのでそこまで頑張り、合流点をもって陸前高田行きをリタイヤしました

 

 

f:id:gunmay20000329:20190602003806p:plain

最終到達地点 近すぎ笑

 

f:id:gunmay20000329:20190602003848j:plain

陸前高田はまたいずれ、「レンタカーで」行こうと思います

レンタサイクルじゃ無理や

 

国道45号線は自動車専用道がある可能性があったのでそのまま来た道を引き返すことに

 

 

途中雨がぱらついたり、日が出てめっちゃ暑くなったりしながら自転車に乗ったり自転車を押したりして戻ります

 

f:id:gunmay20000329:20190602003931j:plain

雨がぱらついた

 

そういえば山道には「融雪剤用」の木箱が所々においてありました

さすが東北ですね

 

f:id:gunmay20000329:20190602004019j:plain

 

こんな発見をしながら戻って来た気仙沼

気づくともう14時です

 

残り時間3時間

 

とりあえず市内に戻ろうとすると…

 

 

魅力的な店発見‼︎

先月100周年を迎えたという老舗の「すがとよ酒店」です

 

 

f:id:gunmay20000329:20190602004054j:plain

 

こちらのすがとよ酒店にお邪魔し、お話を伺いました。

 

ここで聞いたお話は後述します。

 

 

 

この後ここでオススメされた気仙沼大島に向かいます。

あとで銭湯の主人(前日に行った銭湯)や泊まった宿の女将も気仙沼大島と気仙沼大島大橋をお勧めしていました。

 

4月に開通した新しい橋で、景色も綺麗なので大人気だそう

地元の人にとってもオススメスポットのようです

 

代わりに従来の連絡船は廃止になったため、市内から大島に行くのは遠くなってしまいましたが…

 

ただ、最近橋の開通&橋の近くにスーパーができたということで、船で運んでちょっと高くなった商品を買っていた島の人にとっては、自分で安くスーパーで買い物ができて喜んでいる、そんな効果をもたらした橋でもあります

 

車が渋滞することもあるような人気スポットということなので、ぜひ皆さんも一度足を運んでみてください

 

 

f:id:gunmay20000329:20190602004138j:plain

f:id:gunmay20000329:20190602004147j:plain

f:id:gunmay20000329:20190602004144j:plain

 

時間内に自転車を返し、宿を探します

前日宿で「空いてますか」「いっぱいなんですよ」というやり取りを繰り返したので、今日は早めに宿探しをします

 

駅の近くで

 

「どこからいらしたの?」

 

と声をかけてくださった女性が宿をお勧めしてくれ、しかも帰り道の途中だからと言って一緒に部屋があるか聞いてくれました

 

残念ながらその宿は空いていませんでしたが、一緒に探してくださって嬉しかったです

 

さらに前日訪れた銭湯の前を通った時、銭湯の主人に会い、またもオススメの宿を教えていただきました

 

その中で部屋が空いていた「かつらや旅館」さんに宿泊することに

 

駅から町の中心方面と逆方向に進んだところにあるので見つけづらいかもしれませんが、宿の方はとても優しく、いい宿です

 

夕食のお勧めを聞き、この日は内湾地区に行くことにしました

 

どこで食べるか悩みましたが、今晩はアンカーコーヒー内湾店さんで「金のメカカレー」(¥1,000+税 ご飯大盛り無料)をいただきました

 

f:id:gunmay20000329:20190602004342j:plain

 

気仙沼で推しているというメカジキが入った美味しいカレーでした

 

私はマグロが好きなので、本当によかったですね

お米も地元の玄米を混ぜているとのことで

 

 

 

さて、そんなこんなで今日は目的の陸前高田は諦めましたが、気仙沼でいい経験をできました

 

 

 

その中で特に「すがとよ酒店」と「かつらや旅館」で聞いた、震災の話、そして震災後、現在の話を今日のブログの最後にまとめます

 

 

震災当時の話

 

すがとよ酒店さん割と海から近く、低地にあります。

そんな立地だったため震災時未曾有の大津波に襲われました

 

店は全壊、祖父母を亡くし、父も行方不明にになった、とのことでした

 

 

すがとよ酒店から少し西に行った内湾地区も海に近く低地、水が来ました

しかも南の商港岸壁のあたりにあった大型・タンカーが倒れたことで油が流出、その油が津波とともに内湾地区を襲い、内湾地区は火の海に

 

かつらや旅館まで水は来なかったものの、無数に火の手が上がる内湾地区を見て、ここまで燃え広がってくるのではないかと怖かったそうです

 

内湾地区では市役所のあたりまで水が覆いました

市役所は少し高くなっていたため飲まれませんでしたが、周りには瓦礫や流された車が溢れ、身動きが取れない状態に

 

 

同様の状況は気仙沼市民病院があった気仙沼の南側でも起こったそうです

しかも病院の周りは川を逆流して来た水に加え、地面からの水も襲います

 

病院はけが人の治療のために待ち構えていたそうですが、周りが流されて来たもので埋め尽くされ、誰も来れない状況

想定外だったそうです

 

 

こうした身動きの取れない状況が解消されるのは震災後1日2日して自衛隊が重機を持って支援に来て後の事だったそうです

 

 

内湾地区からさらに西に行った気仙沼駅付近、かつらや旅館は地震の揺れによる被害は受けたものの、水の被害は受けず、壊滅することはなかったそうです

 

前日にヒッチハイクで乗せていただいた方もおっしゃっていたのですが、東日本大震災は揺れ自体による被害はそこまで大きくはなかったけれど、津波の被害が圧倒的だったよう

 

車に乗せていただい方の家はそれ以前の宮城県沖地震(1978)などで被害を受け改修してきたが、流石に今回のは耐えられず「半壊」ということ、かつらや旅館も建てられて長いけれど潰れなかったということ。

これまでも比較的頻繁に地震を経験してきたからでしょうか、揺れの被害は大きくなかったということです

 

 

震災直後の話

 

震災直後すがとよ酒店ではしばらくどうしようもない日々が続くも、生きるために店の再開を決意、流されず残った酒を掘り出し、洗い、プレハブで営業を再開したそうです

 

その後町の状況に合わせて引越しを繰り返し、2016年12月、ついに震災前の鹿折で店を再開することができ、いまに至ります

 

 

内湾地区では津波で運ばれてきたヘドロが堆積

ボランティアが来てそのヘドロを掻き出すなどの作業も始まったそうです

しかしそのヘドロが塩でベタベタだし、水もまだ通っていないから流せないし、重いし…

しかも乾燥すると風で舞い上がります

 

このヘドロ、海底で蓄積した化学物質も含まれており、喉を痛めてしまう人が続出

それ以降マスクをつけるようになったとのこと

 

 

こうしてボランティアの方の協力などで震災の復興が進んでいきました

 

 

そして現在

 

まず現在のすがとよ酒店です

 

震災前、客はみんな顔見知りという地域密着型の経営をしていたすがとよ酒店も営業方法の転換を強いられました

 

というのも、すがとよ酒店のみならず周りにあった家々もみんな流されてしまいました

そしてそこに住んでいた人たちのうち戻って来ない人も多かったのです

 

避難先で家を買ったり仕事を見つけそこで生活するようになったり

集合住宅に住むようになったり

 

またこのあたりで自営業をしていた人たちも、世代交代が進んだことも相まって、震災で店を失ったことを機に営業をやめてしまう店も多く

 

このように従来の顧客が戻って来ない中、「地域密着型」を目指していたすがとよ酒店も仕方がなく方針を変えたそうです

 

それはボランティアに来てくれた遠方の片方の販売をはじめとして、対象を地域の人に絞らず、全国的に売り込んで行くことにしたのです

 

こうして震災は地域の社会構造までを変えてしまいました

 

 

すがとよ酒店のある地域は先述の通り震災前までいた人が戻って来なかったりして、今も空き地が多いように感じました

しかし一方で牛角幸楽苑、あとは先述した大島の人に人気のスーパーなど、店が進出しつつあり、少しずつ栄えてきているようです

 

 

f:id:gunmay20000329:20190602004721j:plain

 

f:id:gunmay20000329:20190602004748j:plain
 

 

内湾地区はこれまで盛り土や防潮堤を作り終わるまで店が建てられないという状況でした

しかも町の人で話し合ったのに防潮堤が少しずれていたとかで工期が延長して…

 

工事が終わった場所がある一方、そうした工事は今も行われているようですが

 

f:id:gunmay20000329:20190602005128j:plain

f:id:gunmay20000329:20190602004852j:plain

 

f:id:gunmay20000329:20190602004932j:plain

 

しかし最近その工事もだんだん終わるようになり、商業施設が立つようになってきたそうです

 

市で建てた2つの商業施設

 

f:id:gunmay20000329:20190602005024j:plain

f:id:gunmay20000329:20190602005030j:plain

 

 

ここには地元の人や外から進出した店が出店し、若者などが利用する場になって来ているそうです

今回行ったアンカーコーヒーもそうした店の一つでした

 

内湾地区もようやく最近店が戻って来たところ、これからが本番のようです

 

 

 

まとめ

3.11の震災では、揺れの被害はそこまで大きくなかったものの、津波の被害を受けた場所は壊滅的被害を受けました

 

その後自衛隊やボランティアなどの協力のもと、瓦礫やヘドロなどの片付けは済み、今では瓦礫を見ることはありません

 

昨日見た石巻市内もそうですが、特に津波の被害が軽かった場所では震災の痕跡はあまり感じられない状況です

 

 

しかし海沿いで家が流された場所などは未だに空き地が広がります

 

 

人々が戻って来ないなどが理由ですが、このことはすがとよ酒店の例に見られるように地元の社会を変えてしまいました

 

また、護岸工事や盛り土などまだまだ工事はそこかしこで行われています

 

f:id:gunmay20000329:20190602005319j:plain


 

工事現場の近くでは、東京ではあまり見ない↓のような車が1分に1台のようなペースで通っていきます

 

f:id:gunmay20000329:20190602005352j:plain



 

そしてもちろん、亡くなった方、無くなってしまった物、そして心は決して元には戻らないでしょう

 

 

報道も少なくなり、ボランティアも他の最近災害に遭った被災地がメインになりました

瓦礫もないし、一見ほぼ復旧したように見えます

 

実際にインフラ面について、復興バブル後の不況が話題になるほど工事は進んでいるようです

とはいえ

 

 

工事はまだ続いているという事実

 

変わってしまった社会構造

 

広がる空き地

 

 

 

これを見ると復興は「終わった」と言えるようになるにはまだまだ時間が必要なように感じます

 

しかし被災地はまだ震災前には戻ってないし、もしかしたらもう震災前と全く同じ姿に戻るのは無理あるいは何十年もかかるのかもしれません

 

 

 

ただし悲観的な、マイナスな部分についてだけ書きたいとは思いません

 

 

戻りつつある店

 

震災後の状況に負けず営業を続ける人たち

 

ごくごく普通にカフェやレストランで話す人たち

 

気軽に声をかけてくれる優しい人たち

 

 

生活は震災後に適応し始め、もしかしたら震災前と同水準に戻りつつあるのかもしれません

 

 

私が見れることには限界があります

 

その中でも復興した東北の姿とまだ復興に向け努力する東北の姿を見ることができました

 

ぜひみなさんもこの記事をきっかけに8年経った東北の姿の一部だけでも知り、興味を持ってくださると幸いです

そしてできれば東北を訪れてみてください

 

自分の目でみたらまた違うかもしれません

 

そういう観点でなくても単純に大島大橋とか気仙沼の水族館とかいいところがいっぱいあります

 

ぜひ東北へ

 

 さて明日は気仙沼を発ち、南三陸の方に行きたいと思っています

 

それでは

駅にバスが⁉︎  初ヒッチハイクの東北初日‼︎

こんにちは!

ご無沙汰してます。

 

wennyです。

 

 

小学生の頃絵日記がいつも三日坊主だった私がブログを続けるのというのはなかなか難しく、前回の投稿からだいぶ間が空いてしまいました。すみません。

 

ただ、自分の将来のためにも、これからはとりあえず書くネタがあるときは、短くてもどんどん書いて行けるよう頑張っていこうと思いますので、よろしくお願いします。

 

 

現在語学の方も絶賛拡大中なので、語学学習で気づいた発見の記事も書いていきたいですね。

 

 

さて、今回は冒頭の「こんにちは」が日本語です。

cf.) タイ旅行記では"สวัสดีครับ (sawatdii khrap) !!"と書いていました。

 

 

というのも、今回は東北にきており、その記事を書こうと思っているから日本語なのです!!

 

 

補講日とテスト期間ということで、(潜っている授業はさておき)授業もテストもなかったので、せっかく数日空くならどこかに行きたいと思い、考えました。

 

そこで今回は国内、東北に足を運ぶことにしたのです。

 

 

今回の東北紀行の目的はズバリ!

 

震災後8年経った東北の今の姿を見る

 

ということです。

 

 

みなさん、今3.11の被災地がどんな感じかご存知でしょうか?

 

少なくとも私はイマイチイメージがありませんでした。

 

震災時小学5年だった私は、中高時代を通して東北に行く機会やきっかけがなく、これまで東北に行ったことがありませんでした。

 

今回せっかく空いた時間ができたのだから、東北を訪れておきたい、そして今どんな姿なのか、それを見て、そしてごく一部しか見られないだろうし伝えられるのはさらにその一部だろうけれど、いまの東北の姿を伝えたい、という思いで東北に行くことにしました」。

 

 

北行きを決めたのは出発前々日の深夜、もしかしたらもはや前日になっていたかもしれません。

急いで5/30の夜バスタ新宿を出て翌朝仙台に行き、仙台でバスを乗り換えて陸前高田に行くバスと、帰り6/3の夜に仙台を出て翌朝早朝にバスタ新宿に着くバスを予約しました。

 

東京からの行きと帰りのバスは予約したものの、その間の予定は行って決めようという行き当たりばったり旅です。しかもひとり旅。初めての土地東北。

出発前はとてもワクワクしていました。この後待ち受ける運命も知らずに…

 

 

5/30

バイトを終え、バスタ新宿に行き、バスが出たのは24:45のことでした。

                                                  f:id:gunmay20000329:20190531224841j:plain

 

翌日5/31の6:15頃に仙台駅前に着き、その後バスを乗り換え陸前高田に行く。

陸前高田に行ったらあとは仙台に向け南下しながら適当なところに泊まりつつ、6/3に仙台に戻って来ればいい、パーフェクトプランだ、そう思っていました。

 

 

翌朝6:15頃、予定通りに着いたバス。

f:id:gunmay20000329:20190531225422j:plain

仙台駅前 順調な旅の滑り出し…に思われたが

さてじゃあ次は乗り換えか、と思ったそのとき、重大なミスに気づきます。

 

まだ乗り換え先のバスの代金、払ってない!!!!!

 

コンビニ支払いにしていたのをすっかり忘れていました。

急ぎセブンイレブンに駆け込み、予約番号を入れ、¥2,500の支払い完了!

 

しかしさらに試練が襲い掛かります。

なんと、次のバスのバス停が、朝着いた場所から

歩いて30分もかかる場所だったのです! 

 

Google Mapを片手にバス停に向かいます

 

しかし、着いたのは7:12

バスの出発時刻は7:10

 

 

バスに乗り遅れた……

 

¥2,500をドブに捨てた……

 

たった2分でただの紙切れになった僕のチケット……

 

電話で問い合わせるも、もちろん乗り遅れでキャンセル・変更ができるわけもなく

 

 

絶望の淵です

¥2,500と言ったら1時間以上はバイトで働かないと稼げない額ですよ。

もう茫然自失ですよね

 

 

 

しかし、次第に私に湧いてきた感情、それは

 

「どうにかしてこの¥2,500、取り返してやる」

 

 

つまり、もう一度同じチケットを買うという形で屈することはせず、可能な限り安く行ってやる、¥2,500ドブに捨てたこの状態でも元の予算よりめっちゃ多く払うことになったというのは許されない

 

とにかく安く北上してやる

 

そこで思いついた、最安値を叩き出す方法、それが

 

ヒッチハイク

 

だったのです!!!

 

 

 

ここにおいて私は人生初の東北の地で、人生初のヒッチハイクを思いがけず行うことになったのです。

 

コンビニでマジックペンを買い、段ボールをもらい。

 

ネットで(一般道での)ヒッチハイクのコツを調べました

 

その中で今回採用したのは

・国道沿いで行う

・比較的近い地名を書く

・「学生」を書いておく

・信号の手前に立つ

 

これで徐行する多くの車の目に付き、すぐ乗せてもらえるだろうという算段です。

 

 

目的地が陸前高田なので、とりあえず仙台から「石巻」を書いて道端に立ちます。

最初は仙台市内、国道45号線沿いに立ち、15分

 

誰も止まってくれない

 

まあね、すぐ上手く行くとは思ってませんでしたよ

 

石巻だけ書いてると遠すぎるんですよね、わかりました

 

仙台石巻は50kmくらいありますもんね

八王子ー東京駅間の距離よりなんなら長いですもんね

 

じゃあ中間地点の松島も書いておきましょう

30kmないですよ

これなら止まっていただけるかなぁ

 

f:id:gunmay20000329:20190531232308j:plain

人生初ヒッチハイクの看板第1号

 

誰も止まってくれない

 

場所が悪いんですかね

市内にいたら市内で用をすませる人が多いですもんね

 

もう少し東に進んで市内から少し外れたら外に行く人も増えるかなぁ…

 

 

こうして15~25分くらい収穫がないと場所を変える、これを4,5回繰り返し…

松島も30kmくらいありますよね、もういっそもっと近く、「多賀城」を書きましょう

10kmくらいだったら、なんとか、なんとか

お願いします!!

 

f:id:gunmay20000329:20190531233524j:plain

ヒッチハイク看板第2号 どうかお願いします...

 

場所も移動に移動を重ねた結果、仙台市内から3kmほど離れた宮城野原駅の近くまで来ていました。

 

次の仙台ー陸前高田の¥2,500のバスは13:00過ぎに出ます。

このまま成果が出ないようならバスのチケットを買うか…

 

そんなことを考え始めたとき、

なんと

なんと

 

一人の男性が止まって(赤信号で止まっていただけなのですが)乗せて行ってくれると申し出てくださったのです!

 

土木関係の方ということで、会社がある東松島まで行く途中とのことでした。

 

ようやくヒッチハイクに成功、乗せてくださった方には感謝しかありません。

しかも東松島でも十分だったのにも関わらず、なんと車内で話すうちに石巻まで送っていただけることに…

 

神ですか

 

本当にありがたいという気持ちです。

 

車内ではお仕事の話や震災時の話、地域の話などをしました。

プライバシーの問題もあるので詳しくは書けませんが

 

興味深い話としては、復興バブルの終わりですね

これまでは震災で壊れたインフラの再生のためにいわばバブルのような状態だったらしいのですが、8年経ち流石にインフラ整備も多くが終了、これから不況に向かって行くだろうから、ほかの地域に出張しに行ったりしなければいけないということでした

 

実際にこのあといく石巻気仙沼も、私が見た範囲内ではインフラは当然、街の様子もごくありふれた街と同じような感じになっていました。

 

ただし同時に、南三陸のあたりはまだ復興作業途中ということで、宿なども少ないだろうということでした。

 

 

三陸での滞在が困難となると、石巻に着いたら石巻で止まるか、石巻から電車で行くか、石巻から気仙沼までの84kmをヒッチハイクするか

 

私は仙台ー石巻の50kmで限界を感じ、もう少し限界状況でない状況で練習してからヒッチハイクをしようと思い、高速道路から下りて石巻駅でおろしてもらいました。

 

f:id:gunmay20000329:20190601000700j:plain

石巻駅

 

そしてこのあとの予定を石巻で考えました。

徒歩やレンタサイクルを駆使することで安く済ませられるだろうと

 

ということで初日は石巻から気仙沼に行き、2日目に陸前高田に、3日目に南三陸へ行ってそのまま仙台に、というプランを立てました

 

 

ということで、この日は(あまり時間はありませんでしたが)石巻、その後JR気仙沼線BRTなどで気仙沼へという行程を取りました。

 

 

ではまず石巻で受けた印象を。

 

石巻は被災地の中でも浸水面積が非常に広く、海まで徒歩30分以上かかるような石巻駅でも浸水したような場所です。

f:id:gunmay20000329:20190601001505j:plain

石巻駅 浸水を示す

 

今回電車の時間の都合で海の方までいけなかったので、海沿いは状況が違うのかもしれませんが、少なくとも駅周辺はこうした浸水を示す表示がない限り震災の痕跡はわかりませんでした。

f:id:gunmay20000329:20190601001852j:plain

f:id:gunmay20000329:20190601001947j:plain

f:id:gunmay20000329:20190601001958j:plain

f:id:gunmay20000329:20190601003647j:plain

石ノ森章太郎のまち 石巻

 

街の雰囲気は一地方都市という感じで、まあ石ノ森章太郎の街という感じでした

市役所は商業施設が撤退したあとそこを使用しているとのこと(ヒッチハイクで知った情報)

 

 

こうして石巻をほんの少し回って見たあと、石巻線気仙沼線気仙沼に向かいます

 

f:id:gunmay20000329:20190601002317j:plain

石巻線 2両編成 IC未対応

 

石巻線から気仙沼線に乗り換えるわけですが、気仙沼線はこちら↓

f:id:gunmay20000329:20190601002510j:plain

気仙沼線BRT

なんとバスなんですね

 

BRT、即ちバス輸送システムが気仙沼線では採用されています

f:id:gunmay20000329:20190601003232j:plain

気仙沼線時刻表 本数はめっちゃ少ない

 

これは震災で甚大な被害を受けた気仙沼線の復旧を断念し、BRTによる気仙沼線をもって気仙沼線の復旧とした、という経緯があります。

これが私が今回東北に行って最初に実感した「震災の爪痕」でした。

 

ちなみにこれは気仙沼の画像ですが、駅にバスばかりという奇妙な光景でした

f:id:gunmay20000329:20190601002823j:plain

BRTのバスが並ぶ気仙沼駅

あと気仙沼石巻は「駅」って感じがしますが、ほかの場所は駅も駅っぽくないです

f:id:gunmay20000329:20190601003353j:plain

志津川

 

 

加えて、(気仙沼線という名のバスの中ではほとんど寝ていたのですが)たまたま目を覚ました南三陸のあたりの様子がこちら

f:id:gunmay20000329:20190601003017j:plain

なんか工事中(復興や津波対策の工事?)

f:id:gunmay20000329:20190601003137j:plain

街が全体的に新しい感じ

やはり石巻とは雰囲気が異なり、街全体が新しく綺麗です

まあ内地しか見ていない石巻と、海に近いところを見た南三陸の違いかもしれませんが

 

こうして着きました気仙沼

電車(半分以上バスですが)で¥1,710です

まあ¥2,500と比べたら(陸前高田までいけてないですけど)安くすみました

石巻まで連れて行っていただいたおかげですね、感謝感謝です

 

f:id:gunmay20000329:20190601003911j:plain

気仙沼駅

f:id:gunmay20000329:20190601004011j:plain

 

 

まあ気仙沼も駅のあたりは普通の街並みでしたね

強いていうなら旅館が多い、少し和風で古風な雰囲気もありました

温泉街とか参道に近い印象です

f:id:gunmay20000329:20190601004145j:plain

f:id:gunmay20000329:20190601004151j:plain

 

この日はそのあと銭湯に行き、宿を探し、いくつかの宿に空いていないと言われた後、ホテルを見つけてチェックイン

 

f:id:gunmay20000329:20190601004353j:plain

銭湯 BGMが流れていて雰囲気が良かった

 

 

明日は陸前高田に行って気仙沼に戻ってくる予定です。

今日はイレギュラーが多すぎて精神的に疲れましたが、明日はもっとスムーズに行きたいですね

 

 

WWⅡ期日本の遺産「泰緬鉄道」を学ぶ〈@กาญจนบุรี / カンチャナブリー〉

19/09/’18 (WED)

 

สวัสดีครับ (sawatdii khrap) !!

wennyです

 

 

タイ滞在三日目ということで、少し足を伸ばして กาญจนบุรี (kaanchanaburi/カンチャナブリー) に行ってきました。

 

 

 

この街は第二次世界大戦時に日本がタイービルマ間を結ぶ鉄道「泰緬鉄道」を建設する際に拠点とした街です。

 

この街及びこの街にある「クウェー川鉄橋」は、アカデミー賞受賞映画「The Bridge on the River Kwai (邦題:戦場にかける橋)」の舞台として知られているそうです。

 

 

 

10:30 バンコク郊外の南バスターミナル(southern bus terminal / สายใต้ใหม่ / sai tai mai)から 81番 กาญจนบุรี (カンチャナブリー) 行きの高速バスに乗りました。

値段は110 บาท(baat) でした。

 

ちなみにバスでは旅疲れからかほとんど寝てしまっていました。

景色楽しめって感じだし警戒感もなさすぎか!!

 

ともあれ無事にカンチャナブリーに到着したのは13:00前。

約2時間半のバス移動でした。

 

 

その後、ここではレンタサイクルを利用できるとの情報を仕入れていたのでレンタサイクルへ。

 

    

 

ถนน เเม่น้ำเเคว (Maenamkwai Road) 沿いのレンタサイクルにて 50บาท /day で自転車を借りてクウェー川鉄橋(สะผานข้ามเเม่น้ำเเคว)に向かいます。

 

ちなみに今回レンタサイクルを利用する際、デポジットとしてIDカード(?)を要求されたのですがよくわからず、代わりにパスポートをデポジットとして渡すことに。

パスポートを渡すというのは少し抵抗がありましたが、最終的にはきちんと返ってきたので大丈夫でした。

「IDカード」がなんなのかご存知の方がいたら教えてください。

 

 

さてMaenamkwei Rd.を鉄橋方面に進んでいくと石碑が左手に見えます。

 

          

 

これは泰緬鉄道建設に際し亡くなったアジアの人々や連合軍捕虜の慰霊碑で、昭和19年に日本軍鐵道隊によって建てられました。

ここにはDonation Boxがあり、ノートに名前を書いて管理人の方から線香をいただくこともできます。

ちなみに管理人さんはこれまでタイで出会ったタイの方の中で一番日本語が達者だった気がします笑

 

ここで線香を上げてさらに少し行き、14:00前にクウェー川鉄橋に着きました。

 

           

      

     

 

ここは現在でも1日上下合計6本列車が通るスポットとなっています。

 

ただし列車の時間は割と早く、しかも本数もないので注意してください。

私は時間を逃して今回乗ることはできませんでした・・・

 

代わりに外から通っているのを撮影

 

ゆーーーーーーっくりと橋の上を列車が通って行きます。

 

その後川沿いのレストランで食事

 

         

 

カレーのスープを注文したのですが、米など頼まなかったので辛すぎて涙が出るわ耳まで痛くなる始末…

 

 

15:00頃、食事を終えて「泰緬鉄道博物館(死の鉄道博物館)」へ

 

この博物館は鉄道のカンチャナブリー駅の近くにあり、隣には「連合軍共同墓地」もあります。

 

 

ここでは泰緬鉄道がどのように作られたのかを知ることができます。

(中の展示はタイ語だけでなく英語でも書かれているので、タイ文字が読めなくても英語さえ読めれば泰緬鉄道について学ぶことができますよ。)

 

 

日本が東南アジアに進撃し、イギリスが撤退するに当たり、イギリスは鉄道網などを破壊してから撤退していきました。

そのためその後東南アジアを占領した日本は鉄道の修復または新設の必要に迫られます。

(なお当時のタイは日本軍の強い影響下にあったそうですが、一応日本の「同盟国」として独立を保っていました)

 

そこで日本は鉄道の新設に乗り出しました。

これにより泰緬鉄道建設計画がスタートします。

 

技術的な困難はそこまで大きくなかったのに対し、この計画には非常に大きな課題が課せられていました。

 

それは時間の制約です。

 

この課題をクリアするため日本軍は東南アジアの人々や連合軍捕虜(イギリス・オランダ・オーストラリアなど)を徴用、劣悪な環境で使役しました。

 

 

マレー半島経由で連合軍捕虜を小さなワゴンに押し込んで

(下の写真のワゴンに20人以上詰め込んだまま、休憩も食事も十分に与えられず輸送されたそう)

 

 

 

 

 

コレラなどの感染症に感染するなども

 

上の写真は捕虜として連れてこられたオランダ人のスケッチ、記述をもとに作られたブロンズ像

マラリアにかかった2人がコレラで動けなくなった中央の男を連れて行くシーンを描写しています

 

写真ではあまり伝わらないかもしれませんが、これを見たときは胸が締め付けられました

 

 

 

下の写真は各地域別の死亡者数を杭の数と板の長さで表したもの

 

 

左からマレー人・タミル人、ビルマ人、ジャワ人となっており、東南アジアの現地民が多く徴用され亡くなったことを視覚的、直感的に知ることができます。

 

また、東南アジアの人々だけでなく、欧米人も少なからず、というかたくさん亡くなっているのもわかります。

 

 

(左よりマレー&タミル、ビルマ、ジャワ、イギリス、オーストラリア、アメリカ、オランダ、Aminese、中国、日本(朝鮮含))

 

 

 

建設の際に使われた実際の道具

 

 

このようなある意味原始的な道具で鉄道建設という大工事を行ったと考えると、その壮絶さを少しは想像できる気がします。

 

 

 

あまりにもショッキングすぎたので写真は取れませんでしたが、やせ細ったり病気を患った人の写真や、怪我・病気の治療を受けている様子を描いた人形の展示してあるブースなどもありました。

 

 

 

 

この時ここで私が受けたショック・衝撃は広島平和記念資料館を訪れた時のそれに匹敵するものでした。

 

第二次世界大戦時、日本軍が遠くタイでどんなことをしていたのか、今まであまり聞いてこなかっただけに、ショックは大きく、胸を締め付けられました。

 

 

 

日本にいると、広島、長崎、沖縄、空襲などから戦争を知る機会は多くありますが、それはややもすると戦争による被害を「受けた」立場からのみになりがちです。

 

遠く異国での出来事より、今自分のいる近くで起きていたことを学ぶことになるのは当然の流れであり、仕方のないことです。

 

 

しかし、できるものならばこうした日本が遠く離れた地で何をしたのか、特にそれが戦争で被害を「与えた」場合はなおさら、知っておくべきなのではないでしょうか。

 

 

とはいえ被害を「受けた」側はその出来事を次の世代に語り継ぐかもしれないのに対し、被害を「与えた」側からはどうしても語り継がれづらい。

したがって、自ら被害を「与えた」側が被害をもたらした、被害を「受けた」側の地域に出向くことが重要になってくるのだと思います。

 

もちろんこれは日本だけのことではないと思っています。

戦争に参加したどの国も多かれ少なかれ被害を「受け」つつ「与え」ていたはずです。

 

しかし私は日本人としてのアイデンティティを持っているため、今回タイで日本軍の残した「負の遺産」を訪れてこのように思ったのです。

 

 

泰緬鉄道や東南アジアでなくてもよいですが、是非皆さんも自国の戦争の「加害者」としての側面にも目を配ってみてください。

そして可能ならそこを訪れ、想いを馳せて見てください。

 

きっと視野というか価値観というか、何かが広がると思います。

 

また、今後東南アジアの人々と関わっていく上でも、こうした事実を知っておくことは重要でしょう。

 

 

 

ちなみに博物館を見学した後私は連合軍共同墓地にも行って、博物館で購入した花を供えてきました。

この場所もまた、亡くなった方一人ひとりの名前や享年などが全てわかるため、リアリティを持って泰緬鉄道建設の中で多くの方が亡くなった事実を思い知ることができたと思います。

 

 

 

 

今回は以上です。

 

それではบ๊ายบาย (bye-bye) !!

 

 

 

 

 

 

バンコクで値切りに挑戦!!〈@กรุงเทพ/バンコク〉

17/09/’18 (WED)

 

สัวสดีครับ (sawatdii khrap)!!

wennyです

 

 

タイ二日目、本格的に旅行開始ということでカオサン通り(ถนน ข้าวสาร / Thanon Khao san)に行ってきました。

 

 

バックパッカーの聖地と言われるここは、ゲストハウスはもちろん、クリニック、両替、土産物店などの施設が充実する上、道には衣料品などの出店が多く並ぶ場所でした。

 

「基本的に服は洗えばいいし最悪現地調達でいいや」といって2着しか洋服を持ってこなかった私は、前日に流石に2着だと厳しいということと、何より 洗濯が面倒!! ということに気づき、カオサン通りで洋服を買うことにしたのでした。

 

 

しかし、カオサン通りに入って最初に私の購買意欲をそそったのは洋服ではなく防水バッグ。

これは大学の部活動で必要だろうしここで買ったほうが安いのでは?という考えからでした。

 

店に行き商品を見始めると店員が現れ、値段や商品の説明をして宣伝してきます。

 

10Lのもので 390บาท (Baat) とのことで、1บาท=3.43円とすると、約1338円です。

 

これなら楽天で買った方が安いのでは?と思った私が他の店を当たろうと"I'll find others."と言って店を離れようとすると店員から一言。

 

"How about 350บาท?"

 

ここまで値切りのことを考えていなかった私はここにきて初めて「値切り」という手段を思い出しました。

そう、カオサン通りバックパッカーの聖地。値切りもできるのです。

 

しかし実は私、値切りは今回がほぼほぼ初挑戦。勝手がわかりません。

 

ひとまず私は楽天で見つけた1200円を切れるように、店員の提示した350บาทを下回る300บาทを提案します。

 

 

するとなんと、あっさりOK

 

 

思いがけず「値切り」という手段に出会い、安く買えることを覚えてしまった私は、値切りをしていこうと思ったのでした。

 

ここから私の値切り修行が始まります。

 

 

第二回戦は目的物の一つ、シャツ。

 

店員から提示されたのは1着250บาทだが、複数枚買えばDiscountするとのこと。

3枚買うと言うと、本来750บาทのところを700บาท (約2400円)にするという。

 

値切り初心者の私は少しチキって650บาทを提案。またもあっさりOK

 

しかしよくよく考えるとそこまで安くなかった!!

次は攻めてみることを心に決めます。

 

 

 

第三回戦はズボン

 

ズボンには物によって値段のばらつきがあり、私が買おうとした2着はそれぞれ150บาท、180บาทの物でした。

 

私は"If I buy these two, can you discount?"と言って値切り可能か聞きます。

対する店員は、本来330บาทのところを300บาท(約1029円)にするのではどうか?

 

ここで私は調子に乗って攻めます。

 

200บาทではどうか?」

 

これはさすがにやりすぎだったらしく、店員は首を縦に振りません。

結局私が折れて、せめて1000円を切りたかった私は290บาทを提案し、2着を290บาทで購入したのでした。

 

 

ここまで結局そこまで値切れていない私に最終ラウンドが訪れます。

 

 

終戦 トゥクトゥク

 

 

日本のメーター制のタクシーと違い、事前の値段交渉で料金が決まるトゥクトゥク

 

カオサン通りから帰るためにトゥクトゥクを使おうということで、値段交渉=「値切り」が始まりました。

 

友人と私の2人分、距離約5kmの料金として、ドライバーから最初に提示されたのは300บาท

 

メーター制のタクシーなら150くらいで行けるのではないかと考えた私は、半額の150บาทを提案。

これはtraffic jamなどを理由に拒否されます。

 

これを受けて次にドライバーからは一人100บาท、合計200บาทを提案されます。

 

 

ここでもう一歩攻めることを決めた私は一人80บาทを提案しようとします

 

………が、80と言いかけた時私は気づきました

 

 

80×2=160と、最初に提案した150、ほぼ変わらなくね?

じゃあOK来るわけないやん

 

 

そこで私は急遽+10บาทずつの一人90บาท、計180บาทで提案

 

これに対しドライバーは渋々ながらOKしてくれました

 

 

 

終戦になると比較的割引率を上げることができるようになってきました。

 

相場のわからない以上、どこまで下げて提案するのが適当なのかはまだまだ修行が必要だと思った経験でした。

 

もし値切りの方法について、おすすめやアドバイス等あれば教えてください笑

 

 

 

最後に今日タイで見た、使った単語集

 

บาท (baat)

→タイの通貨「バーツ」

2018/9/18現在で1バーツ約3.44円。

 

ถนน (thanon)

→通り/road,avenue

街で「〜通り」の看板を見るとたいてい"ถนน 〜"と書かれている

 

เท่าไหร่ (thaorai)

→Hou much

ただしだいたい "Hou much?" で通じる

 

→長さ、高さ、距離の"m(メートル)" が "ม" になっていることが多々ある

 

ออก(xxk)

→出口(out)など

 

ว่าง(waang)

→free

タクシーでは「空車」の意味で、大抵の場合赤い文字で示されている

 

 

それでは บ๊ายบาย (bye-bye) !!

 

 

タイ旅行スタート!!

สวัสดีครับ (sawatdii khrap)!!

wennyです

 

 

今私はタイのバンコクに来ています!

 

今日の朝9:00発の飛行機に乗って昼過ぎにバンコクドンムアン空港(ท่าอากาศยาน ดอนเมือง)に到着。

午後だけだったので今日はあまり行動をしていませんが、明日からは本格的にタイを見て行きたいと思っています。

 

 

ところでタイではタイ語が使われています。文字もタイ文字です。

 

「そうはいっても英語ができれば不自由ないだろう」と思っている方、必ずしもそうとは限りませんよ

 

タイでは英語(アルファベット)を併記してある看板も数多くありますが、街でみる店の看板や、食堂などのメニューはタイ語・タイ文字のみの場合も多々あります。

食堂に限らず、コンビニエンスストアなどで肉まんなどを注文する場合も、タイ文字が読めた方が注文がスムーズでしょう。

 

加えて、私が空港から市内へのバスに乗った時、バスでアナウンスされたのはタイ語のみでした。

これではいつ降りれば良いのか、不安ですよね。

 

タイの人たちは英語が日本人よりも流暢な気もするので、もちろん上手くやれば英語だけでも不自由なくやっていけるのかもしれません。

しかし、今日半日タイで過ごして改めて英語だけに頼るのではなく、現地の言語や文字について事前に勉強することの大切さを実感した気がします。

現地の言葉を知ることで、旅の選択肢、自由度がもっと広がるような気がしたのです。

 

ちなみに今日私が使えたタイ語は、屋台やコンビニで商品をもらう時に言った「ขอบคุณครับ(khoopkun khrap)」だけでした笑

 

明日からはタイ語を使えるように頑張るとともに、可能な限りは実際に見て来た場所をブログで紹介していけたらと思っています。

 

 

それでは!!