向洋高校遺構と南三陸へ 3.11から8年後を訪ねる東北紀行3日目!

こんにちは!

 

wennyです

 

 

さてまず今日の旅程はこんな感じでした

 

かつらや旅館さんで朝食

歩いて陸前階上(はしかみ)へ 

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館(旧気仙沼向洋高校)訪問

気仙沼線BRTで陸前階上から志津川

志津川・南三陸散策

志津川から在来線を乗り継ぎ仙台へ

 

 

 

とにかく今日は疲れた

 

というのも前日に無茶な山道サイクリングをしたわけですが

昨日の今日で今度はウォーキングを敢行したわけです、少しでも交通費を浮かせるために

 

しかも大きな荷物を背負って(40Lのバックパック

 

連日こんなだと流石に疲れるもので、足の裏や足首、股関節に負荷がかかっているのを感じます

 

ぜんぶ初日にバスに乗り遅れたせいだ

 

つまり自業自得なんですけどね笑

 

 

しかもなんだかんだ宿泊費やお土産台がかさんで結構金を使っている気がします

 

一番微妙な気持ちになるのは歩いていて喉が乾いたときに買ってしまった3本のペットボトルです

結局使った金変わらんのでは、という気持ちになります

 

 

まあ歩いたからこそ見れた景色もあったと考えて、悲観的になるのはこのくらいにしましょう

 

 

 

お世話になったかつらや旅館さんを出て南進します

 

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目標は気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館(旧気仙沼向洋高校)、旅館の女将さんからも勧められたところです

 

 

途中坂を登ったり下ったりしつつ

 

川を渡って行きます

 

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かつらや旅館で聞いた「水が川を登ってきて病院のあたりまで水浸しになった」という話を思い出しながら

 

 

途中、もともと市立病院があった近くのイオンに立ち寄ったのですが、

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そのイオン、こんな場所にあるんですね

川からは近いですが、海からはだいたい2kmくらいは離れているように見えます

 

 

そんなイオンでも…

 

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左上の標識、分かるでしょうか?

その高さまで水に浸かったということです

 

比較的内地にあっても、川を遡上してくる水による被害があるということを実感しました

 

 

歩いているときに見えるのは平々凡々としたのどかな風景

 

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個人的にはBRTという存在が興味深くて

 

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BRTの駅と線路(バス停と専用道路)

 

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BRTの踏切(バス専用道と一般道の交差点)

こんな写真を撮りながら歩いていました

 

 

 

とはいえ気仙沼ー伝承館は約10kmあります

 

何度か荷物を下ろして休憩を挟みつつ

 

 

ようやく12時前には伝承館に着きました!

 

この伝承館は旧向洋高校の遺構を保存し、それに隣接する形で伝承館を建てた施設です

 

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旧向洋高校遺構

 

伝承館では震災当時の津波や火災の映像を流すシアター、震災後の街の写真を展示するギャラリー、震災後に街の人を取材したテレビ映像の放映などが見られます

 

こちらは撮影禁止となっているので写真はありません

ぜひ一度訪れて、実際に映像や写真を見て見てください

 

 

ここで津波でいとも簡単に家が流される映像、水が川を遡上し街を襲う映像、タンクが倒れ重油まみれの黒い水が街を襲いそして火事が起きる映像

 

こうした映像は震災当時も少なからず見ていたはずなのに、今回見て再びショックを受けました

 

以下その時感じたことです

 

 

2011.3.11、私は小学5年生で友達と下校途中でした

 

急に来た体験したことのない揺れ

私の地元では震度5弱とのことでした

 

揺れが収まるまで、学校で教わったようにランドセルを頭の上に乗せ、建物から離れて道の真ん中あたりでしゃがみこみました

 

揺れが収まり急いで家に帰るとテレビには街に襲いかかる津波の様子が映されていました

当時の私も子供ながらに思うところはあったでしょう

 

その後しばらくはテレビも震災関連のニュースだけになり、

CMは自粛ムードでACばかりになり、

計画停電が行われて

 

 

それからもう8年が過ぎ、私の中では震災はすでに過去のものとなりつつありました

 

 

東北の震災の話題を目にすることも少なくなり、「風化」が自分の中で進みつつあったように思います

 

 

そもそも当時から「対岸の火事」のような気持ちがあったのかもしれません

 

小学生の自分にどこまでを求めるかは難しいところですが、ACのCMをネタにしたり、計画停電で真っ暗になった街を楽しんだり、東北の現状をテレビでは知りつつも、自分とは関係のないものと思っていたのだと思います

 

 

しかし今回時間ができて、東北を訪れてみて、久々に震災の映像を見て、インタビュー映像を見て、また自分の目で震災後の街を見て、地元の人から話を聞いて…

 

震災の悲惨さを再確認するとともに、街が徐々に復興していても心はなかなか癒えないということを思いした気がします

 

もちろん実際に会った方々は、嫌がるそぶりもせず震災時の話をしてくださった

旅館でも酒店でも街でも、東北の人々は強く生きている

 

震災の傷に負けないよう強く生きようとしているのだろうなあと感じました

 

 

ちなみに一つ興味深かったのは、震災時の映像で津波に襲われる街を撮影している時に入っていた音声です

 

もちろん悲鳴や嗚咽が入っているようなものもありました

「ここも危ないんじゃないか」というような言葉も入っていました

 

ただ、一部で「すごい」とか「流されてる」といったような冷静な言葉が聞かれたのは少し驚きでした

 

偏見ですが、勝手にあれだけの震災なら、誰もがパニックだったんだろうと思っていたので

 

 

さて伝承館から順路通りに進むと旧向洋高校の遺構に入れます

 

向洋高校は水産高校でした

日頃の訓練の甲斐あって生徒、教員、そして当時学校を改修工事していた作業員まで、みんな高台に避難するなり、屋上に避難するなりして助かったということです

 

しかし、向洋高校の校舎自体は甚大な被害を受けました

4階建ての校舎の3階までは完全に水に浸り、4階も20cmほどは水が入って来たそうです

 

そんな校舎を可能な限り当時のまま保存してある遺構を見ることができます

 

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体育館跡 屋根が完全に持って行かれてしまっている

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流されて来た車や瓦礫が積み重なっている

 

まあ写真じゃ絶対に実際の感じは伝わらないので、ぜひ実際に足を運んでみてください

 

 

この遺構・伝承館の周りも例に漏れず絶賛工事中なのですが、

 

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何もない大地と砂山と

この辺りは港の工事の他に、各地から土砂を持って来て貯めたりもしているそうです

この土砂は道路などの嵩上げ工事などでも使われるため、こうした場所に貯蔵し必要に応じて持っていくとのこと

 

それと高校の校庭跡地はゴルフパークの計画があるとか

 

まだ終わらない復興工事と、まっさらな土地に新たなものを立てる再スタートの両方を象徴しているかのようですね

 

 

ここまで震災の話が多かったのですが、伝承館から少し内陸に戻ると、そこには農村風景が広がっています

 

港町と農村の共存、のような感じですごく趣深かったですね

 

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たんぼ

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こうして伝承館を後にした私は気仙沼線陸前階上駅へ

 

この駅、廃線マニアとかが好きそうな感じで、なんと!

 

 

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使われていない電車のホームが残っているのです!!!

(実際は気仙沼線廃線ではないのですが)

 

先日も書いた通り気仙沼線は電車としての復旧を断念、BRTとしての運行を行なっているので電車時代のホームは使われず、線路があった場所にバス用の道路が敷かれているのでした

 

 

こうして気仙沼線に乗った私は南三陸志津川

 

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志津川駅周辺

 

この町、全然建物がありません

 

気仙沼の内湾地区も結構更地が多かった印象でしたが、ここはその上をいっています

 

 

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更地①

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更地②

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更地③

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更地④

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更地⑤

これ以上あげても仕方がないのであげませんが、本当に建物が少ないんです

 

これも家が流され、人がなかなか戻ってこないためでしょう

 

 

 

しかし一方、ここには強力な施設があるのです!!

 

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飲食店、土産物店などが軒を連ねる「南三陸さんさん商店街」です!!!

 

ここにはキラキラ丼(季節ごとに具材が変わる海鮮丼、夏はウニ)や、オクトパス(置くとpassとして受験の験担ぎとして有名)があります!

 

他にも地元の海産物や米も売ってるし、お菓子も売ってるし、休憩スペースもあるし、とってもいい観光スポットです

 

 

そしてそしてなんと!

 

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チリから贈られたガチのモアイもいるのです!!!

 

 

 

そんなさんさん商店街を見た後、私は海辺に行きました

 

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モアイもいるよ

 

海の景色は流石はリアス海岸、背後に控える山と非常に美しい景観を作っています

 

砂浜もあり、のんびりとした時間を過ごしました

 

 

 

この後在来線で仙台に帰って来ました

 

今日までで震災関連を巡る旅はひと段落

明日は最終日、仙台市内をゆっくりめぐりたいと思います

 

それでは